読書感想 村上龍『寂しい国の殺人』
現代をおおう寂しさは、過去のどの時代にも存在しなかった。近代化達成による喪失感は近代化以前にはないから。今の子どもたちが抱く淋しさは日本で初めてのものなのだ…。日本の近代化終焉を告げるヴィジュアル・テキスト。
神戸連続児童殺傷事件を受けて村上龍が書いた作品。
社会・家族・メディアについてふれながら力強く、しかし淡々とした文章で現代の問題について書かれている。
この作品が1998年に刊行されて20年以上もたつ今だが、書かれている内容は古くなく、むしろ今だからこそより刺さる内容なのではないだろうか。20年以上も前にこんな内容が書かれていたのかと思わざるを得ない。
『近代化が終わったのにだれもそのことをアナウンスしないし、個人的な価値観の創出も始まっていない、だから誰もが混乱し、目標を失って寂しい人間が増えている、オウムも、女子高生の援助交際も、子どもたちのいじめもこの国の人間たちが抱える寂しさが原因で発生したことだ』
村上龍は、国家が一体となって目指す目標がなくなった今の社会が抱える寂しさについて書いている。
今は、猛烈に働くサラリーマンよりも、先端機器を上手に使いこなし趣味が充実している余裕のある生活をしている人が幸福とされている。
そうなるために、子供たちはいい学校に入り、いい会社に入ることを周りから推奨される。しかし、その一方でその生活が本当に充実したものではないとも言われ(気づいて)、その葛藤の中で生きている。
私は割と、いい学校に入り、いい会社に入って、それなりの生活をしてきたほうだと思う。27歳になる今、まさにこの葛藤を抱えている。
給料にもそれほど文句はないし、経済的に考えると将来性のある職には付けていると思っている。
しかし、一方で自分がしている仕事をくだらない仕事だなと感じてしまうこともある。この仕事で誰かが幸せになるのだろうか?とかそういう上流のことをふと考えると、正直あまりそうも思えない。正直、これ以上の技術の発展は不要なのではないかとも個人的には思っている。
だから、出世をして上の立場になりたいという意欲もわかないのだ。
じゃあ、なぜこんな仕事をしているのか?と問われると、これが今の生き方の正解だからとしか答えられない。
休日もあって、給料も不足なく、最先端のことに触れられて、たまに旅行に行ける。その生活をするための仕事が今の仕事なのだ。
こういった思いを抱えながら働いて、この先本当に幸せになれるのかは正直不安がある。村上龍は以下のようにも書いている。
『子どもは親のことを見ている。生き方を見ているのだ。生きていく姿勢、日常的に示す価値観をじっと眺めている。日頃危機感を示していない親が、「危機感を持て」と言っても、子どもにはまったくリアリティがない。』
わたしは個人的に充実感を得られるような仕事を持ち、個人的な目標を設定できなければこの世の中は生きにくい、と常に思っていて、自分の子供にはそのことを身をもって示し続けた。
うーん、共感できる。
子供はまだいないが、自分の仕事について魅力のあるすごい仕事なんだ!とは正直今は言えない。
そういう風に話せる仕事をしたいと思うし、そんな生き方をしたい。自分の人生を見直すタイミングが今なのかもしれない。
最近、岡本太郎や村上龍の本を読んでこちら側に寄りすぎている気もする。
少し立ち止まって考えて決めよう。
自分の人生なんだから。
そんな風に考えさせてくれた本だった。