読書感想 三島由紀夫『金閣寺』
「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」。吃音と醜い外貌に悩む学僧・溝口にとって、金閣は世界を超脱した美そのものだった。ならばなぜ、彼は憧れを焼いたのか? 現実の金閣放火事件に材を取り、31歳の三島が自らの内面全てを託した不朽の名作。血と炎のイメージで描く〈現象の否定とイデアの肯定〉──三島文学を貫く最大の原理がここにある。
屈折した人を描いているようで、その論理は筋がとおっている部分がある。
人生観が一筋縄でいかないこと、その深淵を描いているような作品。
数多くの文章が、考えぬかれた文章となっており、味わい深い。
下手な考察はせずに、私が読んで印象に残った文章を以下に引用する。
・鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血が流れたときは、悲劇は終ってしまったあとなのである。(P24)
・世間でいわれている不安などというものが、児戯に類して見えて仕方がなかった。不安は、ないのだ。俺がこうして存在していることは、太陽や地球や、美しい鳥や、醜い鰐の存在しているのと同じほど確かなことである。世界は墓石のように動かない。(P126)
・少年時代から、人に理解されぬということが唯一の誇りになっており、ものごとを理解させようとする表現の衝動に見舞われなかったのは、前にも述べたとおりだ。(P171)
・陽気な若い駅員が、この次の休みに行く映画のことを、大声で吹聴していた。それは見事な、涙をそそるような映画で、派手な活劇にも欠けていなかった。この次の休みは映画に!この若々しい、私よりもはるかに逞しい、いきいきとした青年が、この次の休みには、映画を
見て、女を抱いて、そして寝てしまうのだ。(P249)・どうだ。君の中で何かが壊れたろう。俺は友だちが壊れやすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の親切は、ひたすらそれを壊すことである。(P273)
・彼女は信じなかった。目前に自身が起こっても、彼女は信じなかったにちがいない。世界が崩壊しても、この女だけは崩壊しないかもしれない。(P294)
・言葉は私を、陥っていた無力から弾き出した。俄かに全身に力が溢れた。とはいえ、心の一部は、これから私のやるべきことが徒爾だと執拗に告げてはいたが、私の力は無駄事を恐れなくなった。徒爾であるから、私はやるべきであった。(P325)
上記の文章の一部にでも少しでも興味をそそられたら、一度読んでみることをお勧めしたい。